cloudy and rain

UNIXやLINUX、時事放談など気になったことを無作為に書きつらねています。 The topic which becomes matter of concern of UNIX and LINUX and society is written on world wide.

Monday, January 08, 2007

it'new!


手始めに始めたブログだけど、どうにもコンテンツが進まないのは、もともとあった不精者の癖か・・・・。他のブログなどほとんど目にしない。だから私の日記はいつも徒然だ。日本ではバンドルネームが礼儀だと思ってるらしいが、海外では実のところ「本名」というのが多い。是は私見だけど、そもそも匿名で好き勝手なことを言って、叩かれたり、もしくは中傷の標的になりたくないとか、”荒らし”がいやだとか、その辺が妙にリスクばかりを気にする、謂わば人の見えないところでは傍若無人の「日本人」らしいとこだねえ。まあ私もなんだけど。
話は変わって、ずいぶんとご無沙汰していたけど(あ、これ自分のブログのハナシね)、コンピューターの話をするとかって、一向に書かずじまい。結局新たにページをもうけました。この一年ね、自分は仕事量を本当に減らして、そらもういま生活保護ぎりぎり。しかしね、負け組ってのはつまり「いい訳ばっかりする奴」なのね。私の場合、書物「砂漠の知恵 The desert wisdom」にあるように、もう一度自分の原点でもある、あの東京江東区荒川河口にあった、荒涼とした風景の中に立ったあの「記憶」を思い起こしたかった訳。これまで数々の仕事をしてきた中でしったのは、他人の評価とか周りの話を聞くにつけ、気にしないなんて事が、実は言うに容易くて行うが難しなんて事に気づき始めて、いつの間にか自分からも逃れられないことになっていく事の恐怖は、どっかの国の恐怖政治よりも怖いことなのだと。信じれば叶うなどといつの間にか能書きたれて、そのうち努力の先にあると、儚い成功の影に惑わされ、今やるべき事を軽々しく扱い始める。今ある自分の姿は、本当の自分かよりも、自分がどう評価されることが気になるという世界に生きているし。余計なことをしゃべらずにいることなんて不可能だ。だから私に必要なのは「荒野」だった。ドロップアウトできない社会はナチス収容所のホロコーストよりも怖い。でもそれが現実だから、そんな中を私が何も掴まず、転ばずに歩くことは出来ないと思った。私には果たさなければいけないことがこれまで3つあったんだな。一つめは両親片方の親との確執を解消すること、生涯積み上げるものを持つこと、そして「孤独」こと。前項二つめまでは解消した。最後は本当に難しい。私は独身者である。「孤独」は寂しい気分を我慢できることではない。その程度なら所帯を持っても容易い。大体苦痛だと思うから修行。山伏が滝で身を清めて修行するが、あれは「それが苦行でなくなるまでつづけよ。」という意図とがあるからで、「滝に打たれるんじゃなくて、身を任せなさい。」ということ。おおかた勘違いしとるけどね。
「孤独」の修練は家でも出来る。これは形こそ違うけどね。「てんぼこり」という言葉がある。心に刻んで今を生きる。そう思うわたしは。
意味が解らんという人は辞書を引け。何でも人に聞いちゃいかんからね。

もう40にして惑わず。好き勝手言わせてもらう。
歌詞によく耳にする言葉。確かに君だけの花もあるとは思う。だがその花は決して人のために咲かぬ野の草花でなければいかんのよ。でなければ「君自身の花じゃない」。可愛がってもらえるとは誰も保証していない。あんた草花の生涯もそりゃあ大変なのよ。
あと一番になりたがる社会があるから、そうならざるを得ない自分の存在価値を否定したら、それこそ弾かれちゃうんじゃないかね。だから誰でも一番が良いんじゃねえの?ッてことに大人が理解してないんだよなあ。世の中甘く見たって良いこと無いよ。なめちゃいかんな。子供じゃないんだからさあ・・・。大人のクセに、あんまし夢を見るのもどうかね。でも松坂の「夢は見るもの~・・・・」ってのはオメーはじゃどこみてんだよって気がしますな。「現実」を夢見た自分に少しは感謝しろ青二才。だーれがお前のために何億も積んだのかもう一度胸に手を当て考えな。野茂の時代にお前が今の実力があっても、メジャー行きは実現しない。今の制度がお前の実力と呼応しあっただけ。それを実力だけというなら、お前のうぬぼれだ。
夢を見せる商売であることに事に気づいたのなら、そこから本物の大リーガーだと思うけど・・・・。

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