cloudy and rain

UNIXやLINUX、時事放談など気になったことを無作為に書きつらねています。 The topic which becomes matter of concern of UNIX and LINUX and society is written on world wide.

Thursday, May 10, 2007

根本的に基本を忘れちゃいけないよな

ここ日本だと、ブログ、やれ商業マーケティングだの、口コミマーケット、日記サイトだ、公式?ブログだあの・・・。芸能人がやたらゴーストライターに書かしとるんじゃねーか?と思う内容に触発されて、注目を集めんが為に本来の役割というか、そもそもインターネット?ッて何よ?という気がする。やたら数字の桁数ばかり競い合って、疲れないのかしら?そもそもブログの発祥を考えてみましょうよ。

IT用語辞典e-wordによりますと(http://e-words.jp/w/E382A6E382A7E38396E383ADE382B0.html)


”個人や数人のグループで運営され、日々更新される日記的なWebサイトの総称。内容としては時事ニュースや専門的トピックスに関して自らの専門や立場に根ざした分析や意見を表明したり、他のサイトの著者と議論したりする形式が多く、従来からある単なる日記サイト(著者の行動記録や身辺雑記)とは区別されることが多い。

 また、CMS(コンテンツマネジメントシステム)としての側面を重視し、時系列にページの自動生成する機能や他のサイトの記事との連携機能(トラックバック)、コメント機能などを備えたブログシステムで運営されているものはすべてブログだとする立場もある。

 インターネットの普及につれて、多くの人が個人のWebサイトで日記をつけ始めたが、Web日記は紙の日記と異なり、その内容が広く一般に公開されており、ほかのサイトからリンクされたり論評されたりする。また、電子メールなどを通じて著者と読者がコミュニケーションをはかったり、特定のトピックスについて電子掲示板で多人数で論議することも容易である。
 そうした環境の中で、Web日記は独自の進化を遂げ、それまでの個人サイトでもない、紙の日記でもない新しいメディアとして台頭した。そうした新しい形式の日記風サイトを指す言葉として「Web」と「Log」(日誌)を一語に綴った「weblog」(ウェブログ)という言葉が誕生した。現在では略して「blog」(ブログ)と呼ばれることが多い。

 ブログでは個人の行動の記録は重視されず(一切載せないわけではない)、世相や時事問題、専門的話題に関しての独自の情報や見解を掲載するという形式が主流となっている。また、ネット上で独自に見つけた面白いもの、変なもの、スクープなどを紹介し、そこにリンクを張って論評したり、街で見つけた話題(ネタ)を紹介するという記事も多い。大きな事件や事故が起こった際に、地元の人や関係者、目撃者などが自分のブログに知っている情報を掲載することで、メディアを介さずに「生の」情報が流通するという事例(イラク戦争時にイラク人の男性が公開していた「バグダッド日記」など)も見られる。

 多くのブログには読者が記事にコメントを投稿して掲載できる掲示板的な機能が用意されている。また、別のブログの関連記事へリンクして相手の記事に自分の記事への逆リンクを掲載する「トラックバック」という機能もあり、興味や話題ごとに著者同士や著者と読者によるコミュニティが形成されている。最近では、ブログによる「口コミ」で情報が広がり、マスメディアが後追いでそのトピックを取り上げるという現象も起こっており、そういった面からもブログは新しいメディアとして注目されている。

 アメリカでは「Blogger」や「Movable Type」といったブログ運営支援サービス・ツールが普及しており、ブログを簡単に開設し、記事を追加・更新できる環境が整っている。日本にも似たような形式のサイトが数多くあり、「個人ニュースサイト」または単に「日記サイト」などと呼ばれているが、これはアメリカで産まれたブログを導入したものではなく、独自に発生・進化してきたものである。日本の一部のネットコミュニティでは、アメリカでブログが注目される以前から個人ニュースサイト文化が定着していたこともあり、「ブログ」と呼ばれることを嫌うサイトオーナーもいる。”


とあります。そう、ブログは造語なんだよね。コミュニティーだけが主体でもないし、最先端の情報発信基地にかぎるわけじゃない。TVアナウンサーが、「日記サイト」というのは、オペレーティングシステムの略語を血迷って「基本ソフト」と呼んでるくらい、ぼやけているって事。私はトヨタがどんなに販売台数を伸ばしても、そこの車は一切買いたくないし、興味もない。情報って意味無く垂れ流しても、全くナンセンスだし。ウェブがオープンなんだし、確かに自由だけど、競争原理や資本を元にした商売道具の末端にされると、コンピューター好きの私からすると意気消沈だな。そういう彼等はGPL隅から隅までよく読んでほしい。目的が競争では未来が暗いだろ?あるいはBSDの経緯をふまえて、何故UNIXが多くのシステムの派生モデルを産んだのか?とか、ジョブスがマッキントッシュを作ろうと思い立ったのかを今一度考えた方がいい。
本気で、自分たちの未来あるいは立ちゆかなくなりつつある、それはすでに、企業買収と株価の差益でしか利潤を生み出せない悲しい東洋の島国のような、「生産」の価値を見失った人々は特にね。

ここで思うのは夢のような未来を思い描くことではなくて、ちゃんとした現実に視線をそらしちゃ駄目ってことで。私はそれについて、アラン・チューリングという人物の残した言葉を記した本を思い出します。彼はナチスの暗号文エニグマを解読した人物ですが、軍人である彼が考案した論理上の計算機、その不安定版みたいなもんが今日のコンピューターといえるでしょう。1947年にはまだ時代が追いついておらず、見向きもされなかったヤツが・・です。彼は完璧なコンピュータープログラムは完成できるかどうかわからないと言っていたそうです。「チューリング・テスト(Turing test) ちゅーりんぐ・てすと

 1950年に数学者のアラン・チューリングが提案した、機械に知能が存在するかどうかを判定する為のテスト。
 具体的には相手は機械なのか人間なのかわからない状況下において、質問者が機械の返した回答の内容から相手が機械であると判別する事ができなければ、その機械は知能を持つとする、というものである。

 これは行動主義といい、対象の精神活動に関して他者からも観測可能であるその対象の行動から客観的に判断するという考え方にのっとったものである。
 対してこれではテストの結果、知的活動を模倣しているだけで実際には知能の存在しない機械が人間と判定されたり、逆に本物の人間が機械と判定されるなどというおかしな結果がでる、知能の有無は外界から観測しうる事象からでは判断できない等の反論もある。
 ちなみにチューリング本人は、知能があるかどうか、思考しているかどうかはその対象になってみないとわからない。が、自己が他者になることなど不可能である。結局他者に知能があるかどうかは皆実生活においてチューリングテストと同じ事を行い、その人に知能があると判断しているに過ぎない」(これはWIKIペディアからのまんま引用です。私が読んだ本より詳しく記されているので。)
これはプログラムをしている自分に返ってきます。まさか普通に考えて、自分の見たとおり写したはずのデジカメの写真が、実は存在すら怪しい微少数点だけで構成されているとは夢にも思わないはず。結局具体化して見えているそれは、モニターの局所的な部分に何となく配置されたシステムの持つ出力に過ぎません。それは、私達が紙の上にペンを走らせるのとは明らかに違います。実在しませんから。でも実際、私達は「スゴーい」とかいって感心しますよね?インターネットは軍事産業の中から必要に迫られて誕生しましたが、はたして例のライブドアの元社長さんは、果たして”必要に迫られたんでしょうか?”
最近同じような歳の社長さんがまた企業買収に乗り出していますが、結局何が出来るかというかとばかりに気を取られた結果、研究するのを忘れたんでしょうね。商売としたときのツールとして考えた場合、やはり研究は必要ですし、単に「インターネット」を利用しただけでは巨大な広告塔に過ぎません。トヨタはただ単に世界一という広告媒体が欲しいだけのような気がします。
トヨタリコール台数豊田佐吉はどう見るでしょう?物作り日本ねえ・・。
コミュニケーションを敢えて裁ち切り、壊れた蛇口のように一方的に提供することが相変わらず正解とする資本主義。フランスでは欧米型資本主義を導入すると息巻いたサルコジ氏、当選後いきなりマルタでリゾート(自家用ジェット機で地中海のマルタを訪問、大統領就任を前に家族でヨットでの航海、しかも”休養して何が悪い的な発言”)をめぐって国内で若者の暴動が起きてますが。
私は打開する活路はもっと身近に、自分たちの身の回りを取り囲んでんじゃないかと。
ウェブにLOG(記録)する。だからウェブログ。縮めてブログ。造語です。それだけ。
宣伝文句に踊らされるような見事なまでの資本教育。
私は70年代以降どれをとっても、顔が同じ日本車が嫌いです。以前勤めていた会社にこんな悲しいことを言うオッサンがいました。「乗ればみんな同じだよ」。そのくせやたら自分のスタイルにはこだわるので、ひねているんでしょうね。
じつはPC普及率(日本のブロードバンド普及率)は世界的に見ると実はあんまり高くはありません。いえ、それどころかお隣、韓国が72.2%、中国の普及人口は2%でも人口で見ると約2600万人。日本は55%で900万人。つまり一番普及してないんです。さて、日本はどれほどの影響でしょうか?日本の車所有台数7740万台から比べると、年齢層がこちらは様々ですし、インターネットは利用者が

19歳以下 17.3% → 20.9%
20歳代  23.6% → 11.9%
30歳代  27.0% → 24.0%
40歳代  19.4% → 24.0%
50歳代   8.9% → 11.8%
60歳代   3.8% →  7.4%
(ネットレイティングス調査
ウェブ利用者全体の年齢構成比の推移 )
となっているので、利用人口を考慮すると此の偏りはあんまり層が厚そうにも思えません。19歳以下が意外に高いのは、親のPCを使ってることも含んでいるからでしょうが、問題は20歳代。30~40歳代の半分以下。これは収入と関係しているみたい。60歳人口約3,000万人に対し20~29歳は1,610万人、30歳で194万7000人ですし、可用性を期待するのは時期がはやいのではないかと。つまり一番シェアのある人口が、政令指定都市せいぜい3つ4つあるかどうかということです。因みに東京都の人口が(昼夜で変るんでしょうけど)1271万800人で、政府公表失業者数294万人。一世代丸ごといなくなる計算ですな。まあ東京都相手にネット商売して自慢し合っている感じになります。しかも経済的にも安定して商売相手になりそうなのは44%ぐらいで、総人口1割なんて届くような数字じゃありません。つまり産業としてみたときあまりに不確定で弱々しいというのが実体です。
それにしても人口に対して見るとハッキリ分からないけど、こんな程度の普及率なんですから、掲示板でののしったり批判横行し、無視できなくても、あまり気にする必要はないかも知れません。100人中のたった一人に罵声浴びせられていると思えば。生き残りをかけて争う、そんなことより普及にエネルギー使った方がいいかも。こうしたことからも、まだ成熟というのはネットですら早いと言わざるを得ないのですから、ブログも何をいわんやですね。
この少ないマーケットが”巨大”というのは1億を900万で割れば、それが全体の何パーセントかを思えば、大袈裟すぎますよね。(これはMAXで考えた場合。実際はずっと少ない。)だからブログに何十万とアクセスといっても、それは局所的な表現での上に成り立つ数字です。900万人の内の昼夜間にアクセスできる人口、家族全体のパソコンの使用台数や、自由に使える時間がもてる割合、そういった条件を差し引いての更に利用者数の70パーセント(最大でという意味ですが、実際40%以下でしょうね。)ということですから。この限りあるコミュニケーションの輪の中で、罵り合ったり、迎合したり、儲けを算段している訳です。どうりてアフェリエイトしたところでもポイントが上がらないわけです。
しかもこの年齢層の推移はやがてくる高齢社会で、あまり期待できるものではありません。
今、年収300万以下の世帯が各政令指定都市などで、3割近くになろうとしているのを考えてみると、これは年を追うごとに老人社会になりますから、年金収支も低下していき始めますし、そもそも年金支払う人がいないのに老人だらけですから、期待する方がどうかしてます。
中国の反日デモを引き起こしたのは、ブログでした。つまり2600万人という人々に訴えるほど影響あるメディアだったのです。
でもこれは、反面このメディアの特性をよく知ることが出来る事件でした。
一度このコミュニケーションサイトについて、冷静に見つめてみてはいかがでしょうか?
つまり数字や年収、販売台数など、局所的な統計でしか全体像を把握出来ない悲しい私達ですから、(結局俯瞰的視点は神のみぞ知るということかもネ)数字を信仰するのは仕方ありません。
NHKで先日、世界最大の鉄鋼メーカー、インドのアルセロール・ミタル最高経営責任者ラクシュミ・ミタル氏が、新日鐵を買収するという特集を放送していましたが、そんな中で、自株を守るために株主集めて説明会なるものを開くに辺り、アンケートをパンフに添え、株主全員に配布したそうです。結局全体の10%だけしか回答は得られなかったのに、経営者は満足してましたね。むしろそんだけ株を保有してても「アンタには別に関心はない」態度をとられたようなものなのに「90%は無視した事実が重要なんじゃねーの?」と思ったけど。そこに企業を守ろうなんて意識はない。悲しいのは「よしよし」とか言ってる三村明夫の方が、俺には首をかしげたくなったな。こいつ例の厚生労働大臣柳澤 伯夫と同じレベルの頭脳何じゃないの?無関心に関心もてよ。カメラまわってるのにゆるいんだよねえ、頭が・・。そこで、どうアピールするかで、もしかしたら株主も見てんじゃねーか?ここで一丁見せたるでとか、奮起すんのかと思ったけど、どーも経営者のクセにそこは関心無いらしく、「保身」についての努力を熱く語るまあ、そのへんのオヤジ。しまいにゃ幹部まで「地道な努力しかないです」って、そりゃ経営じゃあなくて、株でのハナシだろ?産業としての価値を自動車以上に活気づける提案を株主にこれから説明できるような事じゃなくて、株主囲い込み作戦だそうな。
そういった意味での10%を経営者が「正確な統計とは言わなくても信頼するに値する、あるいは十分だ」と自覚してたら、こらオシマイですねえ。90%の株主はハナシ聞いて無いかも知れないのに。
あれは決して買収に失敗した訳じゃなく、単純に”今回は別にそこまでやるほどでもないので見送った”だけと見るのが、妥当でしょうね。買収申し出た方から出向くところが、立場が弱いこちらからミタル氏に出向いていったところからすると、もしかしたら、もうその島国鉄鋼もう魅力無いのかもよ。
私は、まったく衝撃は受けませんでした。むしろ番組を通して日本のCEOの”頭の緩さ”を改めて実感しましたし。改めて、TVは質感がインターネットよりダイレクトだと思った。メディアの真実性らしさ(決して断定はしない)から言えばTVは最もデカイマーケットなんだからさ。とね。
一方的に享受することばかりに慣れ親しんだ国民性が、変なところに弊害を起こしているようでした。情報を活用できないヤツ・・・。業界のトップですらこのザマ。
こうなると資本主義すら日本人は使いこなせてはいないんじゃないかと・・・。
技術って売るためよりまず、乗り越えたい難題をクリアして磨き、他の追従を振り払って市場を席巻することに醍醐味があるんであって、決して「売り上げ」が全てではないんじゃないでしょうか?なれの果ては「村上くん」ですけどね。うらやましいがああなりたくない典型ですな。

では改めて

もう一度言いますが、一度この「コミュニケーションサイト」について、冷静に見つめてみてはいかがでしょうか?

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