私とコンピューター
今回は、私がコンピューターについて始めることになった経緯をお話ししましょう。それは僅か3年と少しのこと。当時私は会社員というには恥ずかしいほどの、経営がおぼつかない、それでいて経営者のプライドばかり、またはその人の顔色ばかりうかがって仕事をするような、窮屈な職場に在籍していました。その職種は全く完全に興味が湧くような仕事ではないが、動物の世話が好き。只単にそれだけの理由で入社してしまいました。今思えば、今私がこうして自分のペースで開発しているのも、その会社での理不尽なまでの非高率な経営を、正に目にしていたからに他なりません。実は私は白状しますと、三年前より以前の私はコンピューターはおろか、マウスもキーボードも、もっといえば、モニターの電源にすら触れた事はありませんでした。したいことも,何か将来を夢見ることもありませんでした。それまで職種を転々として結局、私は自分自身からも逃げ出したい気持ちで一杯でした。大学で美術を学び、色々頭に描いていた、そう、あの輝いていた毎日は、当時の私にはすっかり失せていたのです。それは他のどんな悲しみより深く、耐え難いものでした。私はなんの技術もない、その辺の石ころよりも優れた価値ある存在に思えず、そのくせ無駄に時間だけを浪費していると。
一生懸命に何かに打ち込んでも、最後にはうまくいくはずはない。悲しいひとりぼっちな人間でした。何もかもが空虚でした。ある時、それは仕事がうまくいかず、所謂左遷されたときですが、自費で引っ越しをし、あまりに膨大な時間と経費を無駄にしていると気づいても、生活はますます落ち込むばかりでした。その正に最低の気持ちの中で、やけっぱちに出かけた先に、信号無視で飛び出してきたトラックと私の車は衝突し大破するという大事故を起こしたのです。私はその出来事があまりに悲しくて、耐え切れませんでした。その車を本当に大事にしていた私は、もう何もかも終わってしまったんだと、愚かにもそう思ったのです。
しばらくは会社にも行かず、ただ狭いアパートの一室で、私は自分を責め続けました。
一ヶ月以上たって、事故の処理と、それに伴う処分がすんで、ディーラーから車を廃車にするかどうか、2度目の電話がありました。その時、私は実家に戻り部屋に引きこもっていましたが、何かに導かれているような気が何となくしました。それは、車の修理など絶対に不可能なくらい大破しているそう確信していた私に、「やっぱり80万ほどかかりますね」というディーラーの意外な一言でした。「直せるんですか?」聞き直すと「出来ますが。・・・」そのとき、人間をみるような気持ちで接してきた愛車が復活すると知った私は、その時初めて、不思議なことにあの車を直して手元の来るまでの間は、私は私らしい何かを掴まなくてはいけないと感じたのです。修理をお願いしてからの私はもう必死でした。毎日がどん欲に取り組むようになりました。何かを達成することの意味が解りかけてたとき、ある書店で手にした一冊の本が私の生き方を変えるきっかけとなり、それは変革と言っていいものでしょう。わかりやすく、このコンピューターを取り巻く世界を全く専門用語を使わず、それなのに有限オートマトンや、チャネル、メモリについて解説するという一風変った内容。私は夢中で読み、かなりのボリュームでしたが、一気に一晩で完全に理解しました。何よりもこんな面白い世界はあるのかと感じたのです。それからは何もかも好転していくように感じられる様になりました。奇妙ですよね?読書をしただけなんですよ。でも、乾ききった大地にそれはまるで半世紀ぶりに大雨が降ったように、私の心に突き刺さったのです。
その年の大晦日私は駆け出しのベンチャー企業が作った、一台のコンピューターを買い、それこそ初めて触る物体を正月から飽きもせず何ヶ月間もいじっていました。時にはOSが全く反応しなくなったり、再インストールをしたりを繰り返しながら。それから半年、いつの間にか私は、コマンドを使ってコンピューターを操作するようになり、WEBを翻訳したりしながら、ドメインを取りウェブサーバーを設定し、UNIXに関する専門書をいつの間にか普通に読むようになり、まだ英文が主体だったこのBloggerでブログを執筆するようになりました。その間は確かせいぜい4ヶ月間くらいだったと思います。初めはHTML始めたウェブも、ウェブログが一般に広まり、認知し始めるようになり、今の私は愛車を未だ所有し、コンピューターも、それぞれ特徴あるOSを自分で構成、インストールして何台も使いこなすまでになりました。
それに関わる仕事をそれから二年経験し、今は辞めて一人次なる目標を企んでいます。
私は日本のニートと呼ばれる人達や、仕事で悩んでいる人達に何か言えるほど、まだ何も成し遂げてはいません。でも、少なくとも私らしい言葉で、何かエールを送るとしたら、こういいます。「ぶらぶらしてたって、一生懸命に走ったって、実のところ進める距離はたいしたことはない。だから気にする必要はないし、ひとは休みながらでしか前には進めない。じゃあどっちにするかだよね?でも、どんな仕方でも人は転んでしまうし、たくさん寄り道してしまうものなんだ。でもね、きっと気づくときが来る。それは、在り来たりだけど、それこそ時間がかかってずいぶん遠くに来てから、そのあまりに長い道が実は自分のかけがえのない財産なんだなって。それはまだ小さくて頼りないけど、赤ちゃんが頼まれもしないのに立ち上がるように、自分の肉や骨に変るんだ。初めて自分がスゴク中身があるって。濃いんだなって。」
一番身近にいるかけがえのない親友、同志。そんな自分を大事にしましょう。もちろん私も。
Labels: コンピューター ニート
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