cloudy and rain

UNIXやLINUX、時事放談など気になったことを無作為に書きつらねています。 The topic which becomes matter of concern of UNIX and LINUX and society is written on world wide.

Monday, August 13, 2007

本当に戦後じゃないと断言できるの?




城山三郎の特集をやっていた。


太平洋戦争に至る昭和初期、外務省の官僚として活躍した広田弘毅の一生をテーマにした歴史小説の作者。広田は戦争責任について一切の自己弁護をしない。しかし極東裁判はどうもスッキリしない歴史。近衛文麿・杉山元といった重要決定に参加した指導者の中に自殺者がいるのもそうだが、いかにして戦争に向かったのかという過程が十分に明らかにされなかったということが、あまりにも重い比重となって今重くのしかかっている。同じ同盟としていた元ナチスのドイツとは大きく異なる処理である。今だ「悪事をはたらいた責任」は誰もとっていない。

真珠湾は卑怯な行為とされているが、実行に移した責任者はあくまで非開戦派の山本五十六で、開戦2年後、援護のない一式陸上攻撃機で隠密に出発、最前線ラバウルの捨て石となったブーゲンビル島上空で撃墜され戦死した。戦後レジュームの脱却とかいう言葉。レジュームって何だ?要するに戦後すぐに制定した法律は、そろそろ見直そうということを「脱却」という限定的的な表現に書き換えたもの・・である。ココが所謂野党が「憲法改正」として反対する根拠となっている。

別の意味で捉えると、実はこの日本にも言論の自由は未だにない。これはもう、戦争責任論と同じで、エライ立場になればなるほど、日本では「責任」は軽くできる構造にある。この「脱却」は是非とも必要だが、「教育」自体に成功例が見当たらないほど、戦前教育は今に生きている。今の教育は「エライ人、何か特別な地位になること、またはそれを敬うように」煽動している。これは正に戦争の影。最も重要なのはあの戦争において、裁判で死罪を言い渡されて「終結」に対し従っていたのは、誰であろう人間宣言をしたその人である。あの裁判では何も解決していない。戦争の真実は誰も語らなかったし、「死ねばいいんだろ」とはいわないまでも、「仁義」を押し通したような美徳で終始通されてしまった。私達は「戦争肯定論者の固まりのような世論」に何の疑問を持たず、「洗脳」されていたが、兵士も家族も何も報われず「戦争被害者」で締めくくられてしまった。現在はその子孫である。未だに何かひとつのヒーローを見つけヒロイズムに浸り、それを否定する者を排除しようとする傾向が残っている。しかしその裏側で「仕組み」をつくっていたことには誰も気がつかないような、巧妙な仕掛けがあった。今は、個人の意見であるはずの「テレビコメンテーターの一部のデータ」があたかも「普遍的であるかのように」取り扱われ、誤解を生じたまま「無抵抗な庶民を抹殺」してしまう。好例がオウムの松本サリン事件。犯人を誰もあの人と信じて疑わない報道で、責任をとった者は一人もいない。そして「庶民に罪はない」の決まり文句で締めくくろうと誰もが思うようになってしまっている。人生を人一人台無しにしても、世間は無視できる仕組みが生きている。戦争が残した本当の爪痕は実はココに残っている。

個人のただの吐露にすぎない「読み物」であるはずのブログも、アクセス数が世論と何か「勘違い」するのか、目的が変質し「誰もが納得する内容」が正しいと、戦前の思考に回帰している。ブログをビジネスなどは正にその典型で、「作られた口コミ」を宣伝するようなブログは星の数ほど存在して、「お見合いブログ」などという現実と垣根の高さを争っている例もある。仮想が人を殺せる様になったかのようだが、匿名であればブラウザを閉じれば何もかも終了する。現に有名であればあるほど、コメントは出来ないようになっているのは、「現実に襲われる」可能性がある立場によるからで、完全に名前を伏せればブログの価値は下がり、ヒロイズムを公表できなくなる。企業であればその所属するタレントが、匿名で書いていたらポータルサイトは何の利益も生み出せない。WEB2.0は匿名だからこそ「共有」が成立する。結局、ブログは何も生み出せはしない。成果は、凄いことをした人が公表できる場所があるからで、それに自由に意見を言えるというところで、世間とは違う「場」が生まれるが、現在の日本のネットは残念だが戦後レジュームから脱却できない戦後が息づいている。

失言が止まないのは、体質ではない。「自民党がエライ」からである。今の教育は「エライ人、何か特別な地位になること、またはそれを敬うように」煽動しているため、勉強して偉い地位になることを名誉とし、セレブとして憧れている。何でも出来るし、わがまま放題の見本がそこにあり、偉ければ消費者を騙して牛肉を偽装してもよいし、国民を偽り、公的資金を流用してもいいし、誤らなくても良い。心にあることをそのまま語って、本音を後から誤解であると主張すれば禊ぎは済んだと言い出す始末だ。誰かが辞めれば、後は何をやっても自由という”風潮”を巧妙につくった。庶民の「モラル」は単なるポーズで、公害被害はなぜだかみんなが、まき散らした方の正当性を主張することをまず、いの一番に始める。

旗という詩があり、「旗要らず 旗降るな 旗振らすな 旗たため」の言葉がある。
今年は戦後従軍した人は、皆超高齢である。本当は時間がない。

しかし、「感想」の意味での”戦争反対”の主張があっても、そこに「旗」があると危険である。皆日章旗のために死んだ。苦しんだ。耐えた。それを戦後は「偽教育」であると一言で終わらせてしまった。自決を無駄死にという人がいる。その無駄死があって私達は、海外旅行を楽しみ、その屍が今だふるさとに帰還できずにいる太平洋の上を楽しそうに横切っている。彼等は一体何のために死んだのだろうか?
全体が個人を凌駕すると、弱者を燃やす。
そして作られたヒーローを尊ぶ。

彼等が虚偽であるのなら、当時の人は皆同罪であるはずだ。
残念なことに、この国ではあの大罪の責任を誰もとっていない。

叫べ、断罪させろ!とわめくのではない。私達の信じてる「平和って良いね」などという軽い言葉が、戦車に踏みつぶされた死体の中に潜り込み、死体のフリをして生き延び、飢えた空腹を炭で満たし、仲間の死体の蛆を食べて生き延びてまで、上官の指示を守らねばならなかった人達の「生きる意味」っていったい何だったのか?という問いかけのそれが”答え”になるだろうか?誰がその後を「救って」くれるのか?それが「青春の全て」だった人に対してのなぐさみなのか?

うかつにその言葉を口にしていいのか、私は思わずためらってしまう。

日航機墜落事故の時。
阪神淡路大地震の時。
新潟県中部地震の時。
サリン事件の時。
幼児、妻殺害事件の時。
飲酒運転の過失殺人事件の時。

広島、長崎の核兵器投下の瞬間。

時が過ぎた時間の中で「平和」とただ脈絡もなく信奉していると疑わないのは何故だ?
皆、自分じゃないから・・言い換えればそれは「私は平和」という心である。
被爆者は今でも決して幸せではない。殺人の被害者も。被災者も。
”皆”という言葉は当てはめるべきではない。「個人の人権」は時に横暴であると私は思う。何か自分が他人に影響を与える者でありたいと願いがちだ。しかしそれが戦中の”正体”でもある。あの”旗”は正にその象徴である。この旗は今でもある「ブーム」「セレブ」「ホワイトカラー」名前が変っているだけで、いつでも悪夢を生み出せる仕組みが出来上がっている。それは音もなく忍び寄っている。時代が変ればいつでも「万歳」とすげ替えられるように。

戦争前、日露戦争以降ひたひたと忍び寄る黒いヒロイズムにだれも
その後に起こる「核兵器」の始まりなど予測できるわけはなかったと思う。
情報が多くても、何の足しにもならない。
戦時中は情報過多の状態であったはず。全て仕組まれたものではあったが。今そこから62年を経て、何が生まれ、何が育ち、何を生み出せたのだろうか?果たしてそれは、肥大し個性を駆逐する個人主義という怪物?

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