cloudy and rain

UNIXやLINUX、時事放談など気になったことを無作為に書きつらねています。 The topic which becomes matter of concern of UNIX and LINUX and society is written on world wide.

Saturday, May 26, 2007

トラに生きた牛を与える動物園?!でも様子は・・・・・・

日本の「日本テレビ朝の情報バラエティー”スッキリ”」で放送されたことにちょっとした反響を伝えているが、しかし実際のところはどうでしょうか?やり玉に挙げられているハルビン東北虎林園は、文字どうりトラ専門の飼育施設で、明らかに動物園とは違います。人民網日文版によれば、野生種が400頭に満たないと言われ、絶滅の恐れが指摘されてきた中国の「東北トラ」の飼育と繁殖を目指している黒竜江省ハルビンの「東北虎林園」で、生まれ育ったトラが600頭を超えるまでになった。繁殖事業に中国が乗り出してから約20年。試行錯誤を重ねての試みだが、増やしたトラを自然に戻すための模索も始まっている。とその歴史は非常に長くCRIonlineによると”ここは虎の野生化基地だから、虎は少しずつその勇ましさを取り戻しました。この点は、虎たちが食物を争う時、はっきり分かります。肉を投げ出すと数頭の虎がすぐ殺到して、獰猛な顔で、競争相手に向かいます。また、虎の野性的な気性を呼び戻すために、たまには餌を与えなくて、虎自ら食物を探させます。ちょっとかわいそうですが、現在、世界で野生東北虎がわずか500頭しかいない現状から言えば、東北虎を保護すると共に、そのもともとの野性的な気性を保つのも必要なことです。これも、虎林園が設立された重要な原因です。虎林園の王立剛総経理は次のように話してくれました。”とあるように、どうみても何かの批判を受けて「言い逃れ」をしているようなスタンスは見られません。ここで王立剛総経理の見解を拝見しますと、そもそもが動物保護の関する考え方は、アメリカなどの国とはかなりの温度差を感じると書いています。実際野生でのトラの現状は、馬が食べれられる草が育つぐらいの気温が上がった季節でないと、食物にありつけることが難しく大変飢えに苦しんでいるそうです。人間が与えてそれが改善するとは思えませんが、ただ野生の状態を観察して回復を待つだけの体力はもう、野生のトラには残されていません。世界の絶滅危惧種でもそれは紛れもない事実で、大体猫科のの生き物は、本当に悲惨な状況で息絶え絶えとなっています。以前NHKで、ロシア山間部極東のアムールヒョウの状況を伝える番組がありましたが、http://www.nhk.or.jp/special/onair/051203.html
この中でも、もう保護しなければ10年で絶滅する、と。確かに一見すると残酷ですが、
人工繁殖な容易な動物、しかも与えている動物は私達が屠殺して食べているのも事実です。http://saisyoku.com/pics_killed.htmショーであるようにも、アトラクションであるかのようですが、では私達はこの動物たちに一体どのくらいの関心を寄せて、その切実な状況を救うための努力をしているんでしょうか?
20年もその繁殖のために、そして少しでも関心を持ってもらうために、昨今の拝金主義と化した一般市民に協力を求めたいとして、関心を持ってくれるための努力だとしたら?消費国であるばかりで、自分たちの健康には関心が高くてもパンダですら繁殖に成功しない日本でそのことを、興味半分で批判するのはちょっと冷静さを欠いています。そこまで落ちぶれたんでしょうか?感想としては、こんなにトラやヒョウの繁殖と保護に成功してる事例は少ないと思いました。ただ動物園で希少動物を見せ物にするだけの方が、かわいそうにも思います。
あらためて隣国のこの行為は誇りにして良いじゃないでしょうか?ココでトリを元気に追いかけているトラはただのトラ(それすらも貴重な動物ですが)じゃありません。絶滅危惧種なんですよ。http://www.afpbb.com/article/1237405
日本は一体何頭のパンダを有効の印として受け取って、何頭残りましたか?お隣はパンダの人工繁殖で実績を残しており、新華社通信によると2006年は34頭のパンダが人工繁殖で生まれ、うち30頭が生存し、シベリアトラの人工繁殖が行われたHenghedaozi Feline Breeding Center は1986年に設立され、当初8頭だった飼育頭数は現在700頭以上に成長しているそうです。
NHKでもかわいいパンダ幼稚園の様子が放送されましたよね。http://www.youtube.com/watch?v=yZNEpJeG6Uoこの映像見て、腹立つ人は少ないと思いますが・・・・。
実際に「潜入感」なしに潜入取材をしてから、冷静になって「オリンピックボイコット」とかいって下さい。それにhttp://news.livedoor.com/article/detail/3175895/の公表も立場が一元的過ぎです。-----「わざわざエサを生きたまま食べさせる目的は何なのだろうか。J-CASTニュースの中国人スタッフが、同園の担当者に話を聞いてみると、こんな答えが返ってきた。「動物ショーが目的の施設ではありません。希少種であるトラの遺伝子を守るために保護し、自然に戻すための訓練を行うのが目的です。生きている動物をエサとして与えているのは訓練の一環で、死んだ動物を与えても訓練にはなりません」「そのような質問にはお答えできません」このように「訓練の一環」と主張したが、「『残酷だ』という苦情は来ていないのか」と聞くと、そのような質問にはお答えできません」と、回答を拒否されてしまった。------とこれでは、自身が批判的に公表しているだけで、あなたが否定的な見解、感想を述べてるだけですよね。事実確認の「事実」も少なくとも多岐に確認していませんよね?そもそもどんな”温度”で質問したのでしょうか?テレビのようにありがちな安っぽいジャーナリズム丸出しで質問したんじゃないかと勘ぐりたくなります。ちゃんと双方の立場を尊重する形で質問しましたか?私達は事実を聞きたいだけだという、幼稚な正論で興味よりも批判を臭わせていませんでいたか?それは、殺人事件の報道の後、平気な顔でゲラゲラ芸能人の四方山話をして、報道における人権を高らかに歌うどっかの情報番組のようではありませんでしたか?ウェブにある画像も「虚偽だ!偽物だ!」とでも?ちょっとアメリカナイズされ、日本人は極右に傾いてるのか「正義感」が安っぽい様な気がします。取材といっても”電話”でしょ?って。そうじゃないとしたら、かなり失礼な質問をしたんじゃないですか?拒否されるってそんなに気軽にするほど観光に力を入れてる施設じゃないみたいですよ?どうなんですか?責任がないなら、ただの感想はそれにふさわしい個人のブログで啓蒙すればいいことで、いってることは私には幼稚園児が、先生にチクってるレベルに思えました。あくまでこの記事に関してですが。ITがどんなに進んでも人間性は変らない。そうじゃないですか?テリーくん。無料カウンター

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Wednesday, May 23, 2007

The young person who the human seems and would like to work

The young person who the human seem and would like to work inside the Tokyo, in unusual thing, demonstration march of the young person was done on MAY 20th. Seeking working condition improvement, 20-30year old generations got together on the center. His et. al. service being various, is the hospital authorized personnel, the nature loyal retainer, the school authorized personnel, the teacher, the office worker and the dispatch employee etc.. "I registerd being yourself at the dispatch company, but when it becomes long-term contract, enterprise side, improvement to fear the fact that it is guided from the country, can make being on the register move shortly at peeriod centering on hiring condition,"and so on the substance of "disguise contract" has swaggered. Or dispatch company side, acquiring connection,also the absurdity that has gone unchallged it is made to stop. 4 part of the present 40 year old proper employment employees 1 is in 25 years old. Furthermore also being similar the family enters in him
et al... You insist that the managers of enterprise of our countries introduced the management which is close to also exploitation, "result principle" are from America, but Toyota which is proud of the production quantity the greatest in the world, the people et. al. who work with the endignore completely and transfers resposibility to the Chinese worker low at wages, comes densely and uses and pursues just the profit. As for his et.al. automobile recall quantity, to almost being the same as that production quantity. Because the housewife who participated in demonstration, "dessiring re-employment, when it tries to deposit the child to the preschool, after employment being decided, you question and to crack, if you go to employment interview, depositing the child after calls margin, how it does not become. "With you express. Asfor present Japan there is a state where employment ratio of the young person is high, but enterprise side you do not guarantee minimum wage. Overtime work in week you do not pay overtime work generation altogether even in 12 hours or more, furthermore being harsh, it makes stop, way if, you are favorable rather in by your. Because the talent is a lot of, when you should have exchanged, he et. al. uses the dispatch employee and throws away. Government has expressed "therefore method of living which it decides freely by its the intention of helping it is not", that clearly. But this seems for Prime Minister Japan "Beautiful country".
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Friday, May 18, 2007

Googleツールバーいつの間にかクールに

なんか最近動作が遅っ、と思っていたらアップデートされてた。グラフィックが一新されたんですね。この頃この今時らしからぬウェブログ執筆していると、かえってココが新鮮に思えます。サイトを巡回してますが、何を必死なのかはわかりませんが、相変わらず内容より人気度が再々最最重要視される日本では、ニュース見たいのはたくさんあって、情報はたくさんあるんですが、技術系となると、トップダウンのように広まるわけにいかず、相変わらず2~3年前の古い情報がネットにはありますね。かなりの人気があるサイトでも話題はずいぶん苦労するようで、発信源として考えるとたまに啓発的な発言もありますが、往々にして雑学かどこそこに行ってきたとか、陳腐な内容に陥りがちです。正確かどうかわかりませんが、自分は、やはりワールドワイドなウェブログだからこそ、英語で書いたりしています。最近2chねるも結構見てますが、どうも発言の質から、アクセスは多いようですが、特定のユーザーがかなり頻繁にアクセスしてる割合が多いようです。一言だけ感想を述べて去るみたいな。IDは確かにそれなりの数ですが、以前ココでも書いたように、多く見積もっても一日ネットを4時間以上閲覧できるユーザーは、日本全体で東京都の昼の人口ほどはいません。その中での競い合いですから、まあ私は実際、機能は少ないがBloggerの方が好きですね。日本のブログを運営しているところで海外向けのアクセスを想定したところはまず、ほとんど無いのですから。その割には英語力はアジア圏でも一番低いランク。別にウェブログという特性は国内の商法の補助的な役割がメインという気がしても言い過ぎとは思いません。人口が1億の中の僅か十数万人しか頻繁には見てはいない。それもほとんどが20~40歳。その人口はこれから減少することは、もう当たり前ですよね?動画はビジネスになり得ないとニコニコ動画の代表は述べてましたが、それに対する反論に「エロサイトはそれなりのアクセスがありますよね?」って、9割が近くが詐欺まがいでしょ?そうじゃなかったとしても、比較がエロサイトと一般のサイトって・・・・・。何考えてんでしょうか?残業でドーパミンこぼれちゃったの?その人。そのお方?エロサイトの努力ってワンクリック詐欺のことですかね?エロサイトは大人も子供もおばあちゃんもおじいちゃんも共感できるような、啓蒙意見が述べられるとでも?比喩もまともに考えつかんのか?あえてここでは、リンク貼りませんが、(ありゃ軽いインタビューにしても軽率すぎるしね。ネットだとなんでも言えると勘違いしとるな。ああいうところが、肖像付きでチェックされず掲載する大手があるんだから、知れたモンだよね。地上波だったら・・とか考えんのか?TBSやFNNで原音忠実再現してみな。)IT関係を扱ってるサイトで、写真付きであったから検索すればでてくると思うし。こういう事平気でいうIT関係って守銭奴と同じだね。代表者はあくまで、事業として成立するのはまだ時期がはやいと。そうだねえ。今のところ日本じゃまだまだ趣味といえるまで、ネットが成熟してない。試しに本屋に入ってコンピューターのコーナー(このコーナーという言い方私はもの凄く嫌いな定型詞なんだけど)に立っている人を見れば分かる。それは、もうすっかり人々に受け入れられて必要が無くなったからじゃない、単に未だ人々にとって敷居が高いところだからです。確かに内容は多少難しいが、結果が上記の輩のための技術だと思えば、あまりたいしたものでもないし、難しいことを難しいまま書いてるのなら、その筆者もたいした理解はないので安心していい。頭に思うことをまんま書く学者が日本には、特に若い駆け出しのヤツが多いが、たいていは詰めが緩いし。(上記の輩みたいにうわべは知っているかのように振る舞っても、事後の事までは頭はまわらん緩さと同じ。)
小説もエッセイも軽く読めることが大前提らしく(大橋巨泉が昔、ワインを若い女はすぐ「のみやす~い」とかぬかすだろ?じゃあいうけど飲みやすいワインが良いワインなのかよ?感想を素直に述べてるだけって、テメー、それしかねーだろ!って怒ってましたが)なんか中学生向けに書かれているような内容です。空白が多くて。2段組なんて皆無。劇場型に爆発的に広まったらあとはそれっきり。持っていても歴史的価値はまるでないらしく、”セカチュウ”は古本屋ワゴン売りで10円です。美しい日本万歳。

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Saturday, May 12, 2007

私とコンピューター

今回は、私がコンピューターについて始めることになった経緯をお話ししましょう。それは僅か3年と少しのこと。当時私は会社員というには恥ずかしいほどの、経営がおぼつかない、それでいて経営者のプライドばかり、またはその人の顔色ばかりうかがって仕事をするような、窮屈な職場に在籍していました。その職種は全く完全に興味が湧くような仕事ではないが、動物の世話が好き。只単にそれだけの理由で入社してしまいました。今思えば、今私がこうして自分のペースで開発しているのも、その会社での理不尽なまでの非高率な経営を、正に目にしていたからに他なりません。実は私は白状しますと、三年前より以前の私はコンピューターはおろか、マウスもキーボードも、もっといえば、モニターの電源にすら触れた事はありませんでした。したいことも,何か将来を夢見ることもありませんでした。それまで職種を転々として結局、私は自分自身からも逃げ出したい気持ちで一杯でした。大学で美術を学び、色々頭に描いていた、そう、あの輝いていた毎日は、当時の私にはすっかり失せていたのです。それは他のどんな悲しみより深く、耐え難いものでした。私はなんの技術もない、その辺の石ころよりも優れた価値ある存在に思えず、そのくせ無駄に時間だけを浪費していると。
一生懸命に何かに打ち込んでも、最後にはうまくいくはずはない。悲しいひとりぼっちな人間でした。何もかもが空虚でした。ある時、それは仕事がうまくいかず、所謂左遷されたときですが、自費で引っ越しをし、あまりに膨大な時間と経費を無駄にしていると気づいても、生活はますます落ち込むばかりでした。その正に最低の気持ちの中で、やけっぱちに出かけた先に、信号無視で飛び出してきたトラックと私の車は衝突し大破するという大事故を起こしたのです。私はその出来事があまりに悲しくて、耐え切れませんでした。その車を本当に大事にしていた私は、もう何もかも終わってしまったんだと、愚かにもそう思ったのです。
しばらくは会社にも行かず、ただ狭いアパートの一室で、私は自分を責め続けました。
一ヶ月以上たって、事故の処理と、それに伴う処分がすんで、ディーラーから車を廃車にするかどうか、2度目の電話がありました。その時、私は実家に戻り部屋に引きこもっていましたが、何かに導かれているような気が何となくしました。それは、車の修理など絶対に不可能なくらい大破しているそう確信していた私に、「やっぱり80万ほどかかりますね」というディーラーの意外な一言でした。「直せるんですか?」聞き直すと「出来ますが。・・・」そのとき、人間をみるような気持ちで接してきた愛車が復活すると知った私は、その時初めて、不思議なことにあの車を直して手元の来るまでの間は、私は私らしい何かを掴まなくてはいけないと感じたのです。修理をお願いしてからの私はもう必死でした。毎日がどん欲に取り組むようになりました。何かを達成することの意味が解りかけてたとき、ある書店で手にした一冊の本が私の生き方を変えるきっかけとなり、それは変革と言っていいものでしょう。わかりやすく、このコンピューターを取り巻く世界を全く専門用語を使わず、それなのに有限オートマトンや、チャネル、メモリについて解説するという一風変った内容。私は夢中で読み、かなりのボリュームでしたが、一気に一晩で完全に理解しました。何よりもこんな面白い世界はあるのかと感じたのです。それからは何もかも好転していくように感じられる様になりました。奇妙ですよね?読書をしただけなんですよ。でも、乾ききった大地にそれはまるで半世紀ぶりに大雨が降ったように、私の心に突き刺さったのです。
その年の大晦日私は駆け出しのベンチャー企業が作った、一台のコンピューターを買い、それこそ初めて触る物体を正月から飽きもせず何ヶ月間もいじっていました。時にはOSが全く反応しなくなったり、再インストールをしたりを繰り返しながら。それから半年、いつの間にか私は、コマンドを使ってコンピューターを操作するようになり、WEBを翻訳したりしながら、ドメインを取りウェブサーバーを設定し、UNIXに関する専門書をいつの間にか普通に読むようになり、まだ英文が主体だったこのBloggerでブログを執筆するようになりました。その間は確かせいぜい4ヶ月間くらいだったと思います。初めはHTML始めたウェブも、ウェブログが一般に広まり、認知し始めるようになり、今の私は愛車を未だ所有し、コンピューターも、それぞれ特徴あるOSを自分で構成、インストールして何台も使いこなすまでになりました。
それに関わる仕事をそれから二年経験し、今は辞めて一人次なる目標を企んでいます。
私は日本のニートと呼ばれる人達や、仕事で悩んでいる人達に何か言えるほど、まだ何も成し遂げてはいません。でも、少なくとも私らしい言葉で、何かエールを送るとしたら、こういいます。「ぶらぶらしてたって、一生懸命に走ったって、実のところ進める距離はたいしたことはない。だから気にする必要はないし、ひとは休みながらでしか前には進めない。じゃあどっちにするかだよね?でも、どんな仕方でも人は転んでしまうし、たくさん寄り道してしまうものなんだ。でもね、きっと気づくときが来る。それは、在り来たりだけど、それこそ時間がかかってずいぶん遠くに来てから、そのあまりに長い道が実は自分のかけがえのない財産なんだなって。それはまだ小さくて頼りないけど、赤ちゃんが頼まれもしないのに立ち上がるように、自分の肉や骨に変るんだ。初めて自分がスゴク中身があるって。濃いんだなって。」
一番身近にいるかけがえのない親友、同志。そんな自分を大事にしましょう。もちろん私も。

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Friday, May 11, 2007

As for that always there is no good news. BSE problem

Very many readers the fixed period have subscribed in japan, in editorial in the "Yomiuri newspaper",discuss concerning the possibility the inspection standard of japanese "BSE" being modified. According to that, when the cow whose lunar phase 23month and 21month which have become the inspection object are young was inspected, the talent liquid two when it tries injecting to the talent of the mouse for experiment, when infection is not verified, he call forcing. Because in the cow where the BSE infection in Japan was verified two heads whose age is youngest were used, when the danger there 2 was denied when it has contradicted, the reporter his disscuss the standard which is enacted in current Japan. Friction and import quantitative restriction whith new Japan and USA this reporter who is anxiety. OIE America it confronts BSE, in when it is the schedule which is enacted "the country which corresponds safely" he wright, when it has contradicted , his record the law of home country. "Adjust to the international standard" also he have written. In Japan it starts eating the beef from generality and still either half a century is not passed from the hand. That this much as for spreading, the fact that price becomes cheap, becoming simultaneously very dietary life poor, has originated in the fact that it . To tell the truth,the general home of Japan that much there is no variation of cooking vis-a-vis the culture, flesh. With that, untill now it was general, the "Japanese style cooking" is going out from our homes. In order for us to like to recover his himself dietary life to the last by his this way it probably has expressed that this reporter talks. Those where it is important, untill the system of the foreign country, starting pulling standard,are not to talk. Untill the system which can look around inspection attitude clearly in evenness is produced as for conclusion in the sense that, Japan has taken passive attitude it reserves. In the point of inspection, the Japanese BSE inspection return being areliability of extant? IT entrusts the inspection to America, does not argue on the basis of both
inspections and as for that being fair? This reporter "Come, when adjusting to international standard," that ia rages. "Discusses to the last at neutral standpoint" would like to send this word to this reporter.

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Thursday, May 10, 2007

根本的に基本を忘れちゃいけないよな

ここ日本だと、ブログ、やれ商業マーケティングだの、口コミマーケット、日記サイトだ、公式?ブログだあの・・・。芸能人がやたらゴーストライターに書かしとるんじゃねーか?と思う内容に触発されて、注目を集めんが為に本来の役割というか、そもそもインターネット?ッて何よ?という気がする。やたら数字の桁数ばかり競い合って、疲れないのかしら?そもそもブログの発祥を考えてみましょうよ。

IT用語辞典e-wordによりますと(http://e-words.jp/w/E382A6E382A7E38396E383ADE382B0.html)


”個人や数人のグループで運営され、日々更新される日記的なWebサイトの総称。内容としては時事ニュースや専門的トピックスに関して自らの専門や立場に根ざした分析や意見を表明したり、他のサイトの著者と議論したりする形式が多く、従来からある単なる日記サイト(著者の行動記録や身辺雑記)とは区別されることが多い。

 また、CMS(コンテンツマネジメントシステム)としての側面を重視し、時系列にページの自動生成する機能や他のサイトの記事との連携機能(トラックバック)、コメント機能などを備えたブログシステムで運営されているものはすべてブログだとする立場もある。

 インターネットの普及につれて、多くの人が個人のWebサイトで日記をつけ始めたが、Web日記は紙の日記と異なり、その内容が広く一般に公開されており、ほかのサイトからリンクされたり論評されたりする。また、電子メールなどを通じて著者と読者がコミュニケーションをはかったり、特定のトピックスについて電子掲示板で多人数で論議することも容易である。
 そうした環境の中で、Web日記は独自の進化を遂げ、それまでの個人サイトでもない、紙の日記でもない新しいメディアとして台頭した。そうした新しい形式の日記風サイトを指す言葉として「Web」と「Log」(日誌)を一語に綴った「weblog」(ウェブログ)という言葉が誕生した。現在では略して「blog」(ブログ)と呼ばれることが多い。

 ブログでは個人の行動の記録は重視されず(一切載せないわけではない)、世相や時事問題、専門的話題に関しての独自の情報や見解を掲載するという形式が主流となっている。また、ネット上で独自に見つけた面白いもの、変なもの、スクープなどを紹介し、そこにリンクを張って論評したり、街で見つけた話題(ネタ)を紹介するという記事も多い。大きな事件や事故が起こった際に、地元の人や関係者、目撃者などが自分のブログに知っている情報を掲載することで、メディアを介さずに「生の」情報が流通するという事例(イラク戦争時にイラク人の男性が公開していた「バグダッド日記」など)も見られる。

 多くのブログには読者が記事にコメントを投稿して掲載できる掲示板的な機能が用意されている。また、別のブログの関連記事へリンクして相手の記事に自分の記事への逆リンクを掲載する「トラックバック」という機能もあり、興味や話題ごとに著者同士や著者と読者によるコミュニティが形成されている。最近では、ブログによる「口コミ」で情報が広がり、マスメディアが後追いでそのトピックを取り上げるという現象も起こっており、そういった面からもブログは新しいメディアとして注目されている。

 アメリカでは「Blogger」や「Movable Type」といったブログ運営支援サービス・ツールが普及しており、ブログを簡単に開設し、記事を追加・更新できる環境が整っている。日本にも似たような形式のサイトが数多くあり、「個人ニュースサイト」または単に「日記サイト」などと呼ばれているが、これはアメリカで産まれたブログを導入したものではなく、独自に発生・進化してきたものである。日本の一部のネットコミュニティでは、アメリカでブログが注目される以前から個人ニュースサイト文化が定着していたこともあり、「ブログ」と呼ばれることを嫌うサイトオーナーもいる。”


とあります。そう、ブログは造語なんだよね。コミュニティーだけが主体でもないし、最先端の情報発信基地にかぎるわけじゃない。TVアナウンサーが、「日記サイト」というのは、オペレーティングシステムの略語を血迷って「基本ソフト」と呼んでるくらい、ぼやけているって事。私はトヨタがどんなに販売台数を伸ばしても、そこの車は一切買いたくないし、興味もない。情報って意味無く垂れ流しても、全くナンセンスだし。ウェブがオープンなんだし、確かに自由だけど、競争原理や資本を元にした商売道具の末端にされると、コンピューター好きの私からすると意気消沈だな。そういう彼等はGPL隅から隅までよく読んでほしい。目的が競争では未来が暗いだろ?あるいはBSDの経緯をふまえて、何故UNIXが多くのシステムの派生モデルを産んだのか?とか、ジョブスがマッキントッシュを作ろうと思い立ったのかを今一度考えた方がいい。
本気で、自分たちの未来あるいは立ちゆかなくなりつつある、それはすでに、企業買収と株価の差益でしか利潤を生み出せない悲しい東洋の島国のような、「生産」の価値を見失った人々は特にね。

ここで思うのは夢のような未来を思い描くことではなくて、ちゃんとした現実に視線をそらしちゃ駄目ってことで。私はそれについて、アラン・チューリングという人物の残した言葉を記した本を思い出します。彼はナチスの暗号文エニグマを解読した人物ですが、軍人である彼が考案した論理上の計算機、その不安定版みたいなもんが今日のコンピューターといえるでしょう。1947年にはまだ時代が追いついておらず、見向きもされなかったヤツが・・です。彼は完璧なコンピュータープログラムは完成できるかどうかわからないと言っていたそうです。「チューリング・テスト(Turing test) ちゅーりんぐ・てすと

 1950年に数学者のアラン・チューリングが提案した、機械に知能が存在するかどうかを判定する為のテスト。
 具体的には相手は機械なのか人間なのかわからない状況下において、質問者が機械の返した回答の内容から相手が機械であると判別する事ができなければ、その機械は知能を持つとする、というものである。

 これは行動主義といい、対象の精神活動に関して他者からも観測可能であるその対象の行動から客観的に判断するという考え方にのっとったものである。
 対してこれではテストの結果、知的活動を模倣しているだけで実際には知能の存在しない機械が人間と判定されたり、逆に本物の人間が機械と判定されるなどというおかしな結果がでる、知能の有無は外界から観測しうる事象からでは判断できない等の反論もある。
 ちなみにチューリング本人は、知能があるかどうか、思考しているかどうかはその対象になってみないとわからない。が、自己が他者になることなど不可能である。結局他者に知能があるかどうかは皆実生活においてチューリングテストと同じ事を行い、その人に知能があると判断しているに過ぎない」(これはWIKIペディアからのまんま引用です。私が読んだ本より詳しく記されているので。)
これはプログラムをしている自分に返ってきます。まさか普通に考えて、自分の見たとおり写したはずのデジカメの写真が、実は存在すら怪しい微少数点だけで構成されているとは夢にも思わないはず。結局具体化して見えているそれは、モニターの局所的な部分に何となく配置されたシステムの持つ出力に過ぎません。それは、私達が紙の上にペンを走らせるのとは明らかに違います。実在しませんから。でも実際、私達は「スゴーい」とかいって感心しますよね?インターネットは軍事産業の中から必要に迫られて誕生しましたが、はたして例のライブドアの元社長さんは、果たして”必要に迫られたんでしょうか?”
最近同じような歳の社長さんがまた企業買収に乗り出していますが、結局何が出来るかというかとばかりに気を取られた結果、研究するのを忘れたんでしょうね。商売としたときのツールとして考えた場合、やはり研究は必要ですし、単に「インターネット」を利用しただけでは巨大な広告塔に過ぎません。トヨタはただ単に世界一という広告媒体が欲しいだけのような気がします。
トヨタリコール台数豊田佐吉はどう見るでしょう?物作り日本ねえ・・。
コミュニケーションを敢えて裁ち切り、壊れた蛇口のように一方的に提供することが相変わらず正解とする資本主義。フランスでは欧米型資本主義を導入すると息巻いたサルコジ氏、当選後いきなりマルタでリゾート(自家用ジェット機で地中海のマルタを訪問、大統領就任を前に家族でヨットでの航海、しかも”休養して何が悪い的な発言”)をめぐって国内で若者の暴動が起きてますが。
私は打開する活路はもっと身近に、自分たちの身の回りを取り囲んでんじゃないかと。
ウェブにLOG(記録)する。だからウェブログ。縮めてブログ。造語です。それだけ。
宣伝文句に踊らされるような見事なまでの資本教育。
私は70年代以降どれをとっても、顔が同じ日本車が嫌いです。以前勤めていた会社にこんな悲しいことを言うオッサンがいました。「乗ればみんな同じだよ」。そのくせやたら自分のスタイルにはこだわるので、ひねているんでしょうね。
じつはPC普及率(日本のブロードバンド普及率)は世界的に見ると実はあんまり高くはありません。いえ、それどころかお隣、韓国が72.2%、中国の普及人口は2%でも人口で見ると約2600万人。日本は55%で900万人。つまり一番普及してないんです。さて、日本はどれほどの影響でしょうか?日本の車所有台数7740万台から比べると、年齢層がこちらは様々ですし、インターネットは利用者が

19歳以下 17.3% → 20.9%
20歳代  23.6% → 11.9%
30歳代  27.0% → 24.0%
40歳代  19.4% → 24.0%
50歳代   8.9% → 11.8%
60歳代   3.8% →  7.4%
(ネットレイティングス調査
ウェブ利用者全体の年齢構成比の推移 )
となっているので、利用人口を考慮すると此の偏りはあんまり層が厚そうにも思えません。19歳以下が意外に高いのは、親のPCを使ってることも含んでいるからでしょうが、問題は20歳代。30~40歳代の半分以下。これは収入と関係しているみたい。60歳人口約3,000万人に対し20~29歳は1,610万人、30歳で194万7000人ですし、可用性を期待するのは時期がはやいのではないかと。つまり一番シェアのある人口が、政令指定都市せいぜい3つ4つあるかどうかということです。因みに東京都の人口が(昼夜で変るんでしょうけど)1271万800人で、政府公表失業者数294万人。一世代丸ごといなくなる計算ですな。まあ東京都相手にネット商売して自慢し合っている感じになります。しかも経済的にも安定して商売相手になりそうなのは44%ぐらいで、総人口1割なんて届くような数字じゃありません。つまり産業としてみたときあまりに不確定で弱々しいというのが実体です。
それにしても人口に対して見るとハッキリ分からないけど、こんな程度の普及率なんですから、掲示板でののしったり批判横行し、無視できなくても、あまり気にする必要はないかも知れません。100人中のたった一人に罵声浴びせられていると思えば。生き残りをかけて争う、そんなことより普及にエネルギー使った方がいいかも。こうしたことからも、まだ成熟というのはネットですら早いと言わざるを得ないのですから、ブログも何をいわんやですね。
この少ないマーケットが”巨大”というのは1億を900万で割れば、それが全体の何パーセントかを思えば、大袈裟すぎますよね。(これはMAXで考えた場合。実際はずっと少ない。)だからブログに何十万とアクセスといっても、それは局所的な表現での上に成り立つ数字です。900万人の内の昼夜間にアクセスできる人口、家族全体のパソコンの使用台数や、自由に使える時間がもてる割合、そういった条件を差し引いての更に利用者数の70パーセント(最大でという意味ですが、実際40%以下でしょうね。)ということですから。この限りあるコミュニケーションの輪の中で、罵り合ったり、迎合したり、儲けを算段している訳です。どうりてアフェリエイトしたところでもポイントが上がらないわけです。
しかもこの年齢層の推移はやがてくる高齢社会で、あまり期待できるものではありません。
今、年収300万以下の世帯が各政令指定都市などで、3割近くになろうとしているのを考えてみると、これは年を追うごとに老人社会になりますから、年金収支も低下していき始めますし、そもそも年金支払う人がいないのに老人だらけですから、期待する方がどうかしてます。
中国の反日デモを引き起こしたのは、ブログでした。つまり2600万人という人々に訴えるほど影響あるメディアだったのです。
でもこれは、反面このメディアの特性をよく知ることが出来る事件でした。
一度このコミュニケーションサイトについて、冷静に見つめてみてはいかがでしょうか?
つまり数字や年収、販売台数など、局所的な統計でしか全体像を把握出来ない悲しい私達ですから、(結局俯瞰的視点は神のみぞ知るということかもネ)数字を信仰するのは仕方ありません。
NHKで先日、世界最大の鉄鋼メーカー、インドのアルセロール・ミタル最高経営責任者ラクシュミ・ミタル氏が、新日鐵を買収するという特集を放送していましたが、そんな中で、自株を守るために株主集めて説明会なるものを開くに辺り、アンケートをパンフに添え、株主全員に配布したそうです。結局全体の10%だけしか回答は得られなかったのに、経営者は満足してましたね。むしろそんだけ株を保有してても「アンタには別に関心はない」態度をとられたようなものなのに「90%は無視した事実が重要なんじゃねーの?」と思ったけど。そこに企業を守ろうなんて意識はない。悲しいのは「よしよし」とか言ってる三村明夫の方が、俺には首をかしげたくなったな。こいつ例の厚生労働大臣柳澤 伯夫と同じレベルの頭脳何じゃないの?無関心に関心もてよ。カメラまわってるのにゆるいんだよねえ、頭が・・。そこで、どうアピールするかで、もしかしたら株主も見てんじゃねーか?ここで一丁見せたるでとか、奮起すんのかと思ったけど、どーも経営者のクセにそこは関心無いらしく、「保身」についての努力を熱く語るまあ、そのへんのオヤジ。しまいにゃ幹部まで「地道な努力しかないです」って、そりゃ経営じゃあなくて、株でのハナシだろ?産業としての価値を自動車以上に活気づける提案を株主にこれから説明できるような事じゃなくて、株主囲い込み作戦だそうな。
そういった意味での10%を経営者が「正確な統計とは言わなくても信頼するに値する、あるいは十分だ」と自覚してたら、こらオシマイですねえ。90%の株主はハナシ聞いて無いかも知れないのに。
あれは決して買収に失敗した訳じゃなく、単純に”今回は別にそこまでやるほどでもないので見送った”だけと見るのが、妥当でしょうね。買収申し出た方から出向くところが、立場が弱いこちらからミタル氏に出向いていったところからすると、もしかしたら、もうその島国鉄鋼もう魅力無いのかもよ。
私は、まったく衝撃は受けませんでした。むしろ番組を通して日本のCEOの”頭の緩さ”を改めて実感しましたし。改めて、TVは質感がインターネットよりダイレクトだと思った。メディアの真実性らしさ(決して断定はしない)から言えばTVは最もデカイマーケットなんだからさ。とね。
一方的に享受することばかりに慣れ親しんだ国民性が、変なところに弊害を起こしているようでした。情報を活用できないヤツ・・・。業界のトップですらこのザマ。
こうなると資本主義すら日本人は使いこなせてはいないんじゃないかと・・・。
技術って売るためよりまず、乗り越えたい難題をクリアして磨き、他の追従を振り払って市場を席巻することに醍醐味があるんであって、決して「売り上げ」が全てではないんじゃないでしょうか?なれの果ては「村上くん」ですけどね。うらやましいがああなりたくない典型ですな。

では改めて

もう一度言いますが、一度この「コミュニケーションサイト」について、冷静に見つめてみてはいかがでしょうか?

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