cloudy and rain

UNIXやLINUX、時事放談など気になったことを無作為に書きつらねています。 The topic which becomes matter of concern of UNIX and LINUX and society is written on world wide.

Monday, January 29, 2007

You probably can think this country in advanced nation?

In present Japan, the people who are called
the "net coffee refugee" are increased rapidly. He et.
al. is young and, furthermore it does not have regular
occupation. In the first place the regulation regarding
the employment in Japan is removed and if with the
favor which becomes free, not being formal
employment also only business can continue, you do
not almost guarantee minimum wage and the fact
that policy of the selfish government that is thought of
root also the て is good, is cause. He et. al. naming
the for the sake of with consequence of the disabled
manager who is not good being attached to
globalization to being the expectation which lives
normally it attains victory in competition, really labor
cost is shaved because the present profit is not
decreased and the fundamental management second
look and the like the result which was ignored they
are the unemployed people who produce. As for him
et. al. every day dividing the lunch of several dollars
which just survive to be earnest, purchase with
convenience store into several times, you pass one
day and it is not and wanders Internet coffee and it
sleeps and the place where you live to stay does and
many and unspecified persons utilize with the coin to
search the locker room of of cheap it utilizes,
changing clothes there, it keeps going out to the work
of day-to-day employment. As for that 4 o'clock in the
morning is. But as for Japanese prime minister as for
the present book that it is prosperity, it rages. In the
notion that where the young person nearly of 30
percent has forced such living.

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Thursday, January 25, 2007

貴様等食い物とファッション以外何もねえのか?

NHKでゆるナビという番組やってるけど”腹立つわー”。あのなー生活って「ママゴト」じゃねーのよ。若いうちからまー「甘さ」全開だよね。ちょっとは趣味に生きるとか、 一本これぞって「筋」ねえのかよ。食い物と癒しとファッションとかインテリアってお前は「イオン」かよ。”ふっふ~ん”ってバカか?みんなどっからか持ってきて取って付けたような薄っぺらな「生活」。北欧でも南米でもましてアジアでもない”作りモン”の生活。若さに任せて「教養」忘れたのか?鏡を見ろ!!!!!!お前の顔は、何処まで行っても「田舎面」。
学生の延長みたいな事やってるモンだから、「散歩」ぐらいで特別なんだろーよ。嫌だな「知恵ねえ奴」。なんにも珍しくない事しといてからに、ぬかみそつけた位で得意がるな馬鹿者。もーちっとマシな文化もてよ。「ママゴト」してっとチャイナにますます後れを取るぜ青二才。暮らしの中に文化があるがそれは昨日今日でもなく、千年以上の歴史の中で育んだもの。文化って不特定多数の大衆の無意識の中にあるンよ。したがって、お前達のは単なる「自画自賛の珍宝崇拝」。しかも総て与えられた物だろ?金で買った物でも「下手物」と「年代を重ねた骨董」と、価値を同じにしているところが「青い」んだよ、バーカ。あの番組で可愛いのは芝わんこ位だな。後はゴミクズ。ほんと、どうしようもねえな。自分だけの価値なら、触れ回るんじゃねえよ。テメーの胸にでもしまっとけ、チンカス。

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Tuesday, January 23, 2007

下品なお話はこれくらいにして

今日の出来事。前から気になっていた綾瀬の書道用具店に行ってきた。朝から篆刻。一品仕上げたところで、「そういやあ、紙が手にはいるところでも探っとかねえとなあ。」と昼に思いついたので早速自転車に乗って、約1時間半。平日にしか開いてないらしいことは、解っていたけどいやあ「開いてますな」てんで、お邪魔しました。こぢんまりしてるけど、良い店だよね。最近めっきり紙や道具をまともに置いてる店が無くて困っていたところよ。全紙までも扱ってるんで、(それだけじゃなくさらにデカイのもある)嬉しくなったなあ。しかし紙ってのは、「最低三年寝かせておく」のがいいらしい。なんか買いたての奴はどうも「ノリ」が悪いと思っていたら、そういうことなのね。まあ11月ぐらいから紙は市場が動くけど、「書き初めっつーのがあるからね。」少なくとも仕入れた紙を寝かせて置いておく店はないよ。自分は台湾紙が好きだけど、国産でも薄くていい墨色を出すのがあって今度見本で一枚そこに持って行き、探そうと思っている。書道人口というのは、大体60代前後で新人。でもその下がいないそうなんで、俺は丁度良いよな。今持ってる紙、六年前に手に入れた奴だけど、なんかどれも枚数ないから、使わないでおこうかな。ほんと紙と筆は ”出会い” だな。あとはいい辞書がもう一つ欲しいけど。まあ収入ギリギリだしね。

Monday, January 15, 2007

Want get fools again.

何でも雪印の二の舞になりたくねえとかで、期限切れの食材使用またも隠蔽かあ。神楽坂のペコちゃん焼きも、もう食べられなくなるんかねえ。しかしどこから辺からばれたんだろうね。社内からかねえ・・・。そもそもこういう隠蔽体質を生む土壌がアジアにはあるんだよな。お隣でも腐敗した食材使って大騒ぎになったこともあったし。やたら違法コピー商品が多いのも、要するに守銭奴の如きばれなきゃいいってことだろ。そんなに金がほしいかねえ・・・・。利益を下げたくねえということは、リスクを負ってまでも給料守りたいんだな。なにが人々に貢献か!?新卒にこんな会社に入りたいわけ?と入社式で社長自ら皆さんに申し上げたらいかがなもんですかね。資本主義って一番罪深いかも。まあ大企業、どんどんつぶれて欲しいけどね。やたらプロジェクトって単語好きだよな。計画で良いだろ?バカじゃねえの!?
話は変わって、この頃男女の交際めぐっての殺人、多いなあ。恋愛って国外からきた幻想だからなあ。ハッキリ言って男はマンコがよくって女は・・・。この辺も子供だよね。籍入れるまでは何奴も打算だろ?身も蓋も無いようだけど、エロビデオ観りゃわかんだろって。あのモザイクの下には汚ねえもんが蠢いてんだし。そーいうことがあって何が二人に必要なんじゃって考えるところが大人って事じゃねえのかよ。綺麗ごとにする奴はガキだな。綺麗なわけねえだろ?マンコが!!チンポが!!!ション便ウンコたれるとこだぜ?それこそバカじゃねえの!?れーせーにかんがえろよ。なんか勘違いしてねえか?
探り合ってるうちは可愛いが、所有したいは違うだろ?
殺人する奴って童貞よりタチ悪りーって。
大人になんなよ。じつはすんごい単純なことなんよ。
美しい日本ねえ・・・。ふーん。

Sunday, January 14, 2007

Always YKOHAMA

プーアール茶が切れかかってきたので、中華街に行ってきた。いつも1キロ購入するところへ行ったついでに、アジアン雑貨のチャイハネに立ち寄る。20数年は確実に営業してきた店だけど、内容もずいぶんと様変わりしたなあ。まず店員が若い。最近雑貨店が多いせいかね。品物はこらまた輸出向けに作られた偽物ばっかり。うちの近所にもあるけど、本物の民具だとそれなりに値段はするけど、ほとんどが一点物。しかも現地で使用されている物を交渉して買い付ける訳だから、高いのは当たり前だ。しかしこればっかりじゃ品揃えが足らないし商売にならんということで、無難な何処にでも或る物品を並べるというのは珍しくない。特に衣類や生地関係は顕著。そんな中で本店向かいにあるチャイハネ・ネネに立ち寄ると3Fにクロスがあるので覗いてみた。相変わらずどーでもいい輸入品に人が群がっていたが、隅っこのケースの中に、手縫いで素朴なキルティングが施された品を見つけた。大体9800円から6~7万ってとこか。小さな鏡が縫いつけてあるやつとか、窓枠を飾る伝統的な柄から、腕や腰に巻き付ける衣装が少しだけ置いてあった。昔からこの程度の物なら根津当たりでも一件、二件くらいはある。でもまあオシャレにするばっかりで、名ばかりの”アジアンテイスト”ズラズラのなかで、こういった品がまだあるのは安心した。まあ後数年で欠品確実だけど、若い定員に目利きが出来るわけ無いモンな。時代が馬鹿馬鹿しい方向へ行こうとも流れだから。最近、衣類と雑貨、家具、飲食だけって感じだよなあ。何処行っても、無難な品物ばっかり。金使うところがないから、良いことなんだろうけど。しかしまあウィンドウショッピングにまで苦労する時代にこの頃は成り下がったなあ。買う側に見る目がないから品揃えが悪くなるんだよねえ。売る側は売れる物しか置かないってのがスタンスになった今日だと。しかし20~30代の人達の感性って随分と安っぽいんだな。その割に見栄張るところには金使うけど。あのなあ少しは勉強しな。雰囲気ばっかりに酔いしれてねえで。

The life who is complete.

In the multiple dwelling
house "DANCHI" around 1968 in current Japan after
the World War II, development advances quickly and
among those is born, middle to advanced age of the
one person house (40 years old? Approximately 60
years old) the incident which dies being abandoned
alone the man passes from around occurs frequently.
Also the person who loses work due to the
bankruptcy of the person and the company which
hold the chronic disease in the people among those
is included. In should being surprised the family is
those people. Being single, as for the family there
custom that in one of the reasons which live by your
you raise alone. If following earnings are gone, that
man with the notion that where is ignored even from
the family necessity it is not. Furthermore the
becoming your own shame, it cannot designate either
consultation as the person around. Recently, finally
the support group just started. At this incident has
happened at the hometown where it is closest to
Tokyo. There is "SHAYOU" in the Japanese word.
the past prospering, the happiness like the spring
changes, in order for the sun to fall, that it keeps
being ruined like this calls. But this collar perhaps
hint cod what.

Saturday, January 13, 2007

文明あるのに孤独死ねえ・・・

テレビで築40年の団地住まいの男の孤独死って番組、アンコール放送やってたけどあれ俺の近くなんだよなあ。なんでも40~50、60代中心らしい。男ってのが気になるけど。世の中蓋を開けてしまえば、「生き甲斐」なんて何もないようで、(よく生き甲斐は家族っていうけど、それって自分自身になんにもないということだよね。)もともと虚しいのに、忘却するほど取り憑かれていた仕事って、なんだったんでしょうね。だから女性の孤独死は少ないそうです。今の30代の人ってこの人達より或る意味会社に「隷属」してるでしょ?どうすんでしょうね。永遠に「満足」ってないのにさ。何時かはとか思って一日中会社員。老後は誰もがバラ色とか思ってたりして。俺は一年が長く、しかも去年は収入も落ちたってのに、本当にいい年だったよ。充足とは何に金使うかだな。「欲しいもの」ばかりに使うと、ついでに「余計な欲」まで買ってしまい、いつの間にか自分ではなく、周りの人たちを追いかけるために豹変しているし。で、想像以上の幸せは何時も「物足らない満足」で終わるのが怖いので、また消費する。皇居の周りで必死になってジョギングする輩が大勢いるのも、根本は此処だろうねえ。昔は大使館に勤めてる奴とか(赤坂から近いし)そんなのがたまに見かける程度が、時世なのか知らんが「ビジネスマンの嗜み」みたいに成り下がっちゃって。TVがドーセネタ元なんだろうけど。十年もスりゃアホ共今度はスケート履いてんじゃねえの。カッコだけだから土日はもぬけの殻だし。人目がねーと出来ねえらしく、「健康維持」の大儀を持つなら、自宅にその時間とっとと帰宅してやればいーだろ。迷惑かけてないけども、そんなところが「子供」は見てんのよ。生き方はいっとくけど「スタイル」じゃねーぞ。「そのひとなり」。つまり親たちに肝心の中身がねえことを子供はそろそろ感づいてるわけ。そりゃムカつけば殺されるわな。「アホ」に文句つけられんだもの。「できるやつ」に見られることを目的にしちゃいかんよ。誰も知らなくても「賢いやつ」がホントは「実績」あるってことなの。大体、好き放題してきたその代償なのに、良い事してるかのような「健康維持」って奴。邪魔くさいわ。餓死する子供も世界中にいるってのに。馬鹿げているって思ってないところはお目出度い。自分を猛省しろ!
「余るほど欲しがる」から病気になんのよ。偉そうなこと云っておまえはどうなんだ!という輩のために云っておくが、自由に言えるために「不可抗力で社会的弱者となってる方を中傷するかのような表現」、「性的な問題で、あたかも優劣を決定出来るかのような表現」以外なら、匿名である限り実名を出さないことで表現が許されるところが、”ブログ”なのよ。だから人道的に行動がおかしい団体、或いは国民の代表で、私達の税金をもらっておられる政治家及び政治団体、または資本主義の中で収支に差があることを前提とした利益によって、利潤分配を優劣に沿って行う組織。つまり会社ね。これらは実名で中傷非難は受けて当然。受けたくなきゃ初めかららやるな。大体貴様らの暴走を俺たちは何時も黙って観ているしかねえだろ。世間に影響或る立場でありながら、批判をまともに受けないなんて許されないのだよバカ共。だから例の元ルーマニア大統領みたいな例があるし、水俣もあるって訳だ。拉致もそうだよな。「馬鹿」はバカなんだから、此処がネットの使いようなんだけど、日本人って幼稚園児だからなあ。「ドアが閉まります」とかって放送される連中だもんねえ。あ、俺日本人だから。

Wednesday, January 10, 2007

tommorow of frog

そういやこないだ、つっても昨日なんだけど、つくばエキスプレス(略してTX)に柏の葉キャンパス前という駅があるのね。その駅前にすごいの立ってるって聞いたんで早速車で出かけました。TX料金高いし。しかしまあ何にもない野っぱらにそれだけしかないわけ。平日だってのにしかも「おいおい並んでんぜ?」って感じだった。でもまあ裏側に回ったらガラガラ・・・。やはりかー。それにしてもさ、この頃のショッピンイングセンターって一軒一軒間口が広いな。まあ要するに小さい店のより集いの昔でいうアーケード的なもんが薄れ、大量生産のメイドインチャイナが幅をきかせている一昔の対米日本の姿みたい。一番驚いたのは、洋服の中に「お、バックスキンのジャケットじゃん」とか思って近づいてクレジットを見たときの事よ。は!?アクリル?へ!?ポリエステル!?ってとどのつまりは偽物じゃんか!よく出来ッてっけど、俺バブルん時買ったジャケット3~6万だぜ。それもフランスとアフガニスタン製で。5800円とかってなんだよこれ。何が豊かなの?本物知らずして・・・。おいおい表参道昔のプリンシペで買った俺のニットのアンサンブル、悪ーけど7万よ。こいつはイタリーの手縫いだけどさ。好景気!?はあ!?俺は人付き合いが一丁前に悪いクセに、着るモンと食い物にはそりゃあ贅沢してきたぜ。けれどこりゃねーよ。どいつもどいつも安上がりに出来た、ただの偽物。えー!!!!!!!!!!!!!!!!今まで苦労してきた未来であるはずのみらいって、2007年ってこんなもんなの!?ってオーバーだけどさ。でもまあ安けりゃいいってもんじゃなくて、地方はこれで我慢しろって感じだな。あくまで売り手側主導ってのが、むかつくね。物の視線がひとつだけで後はお任せジャン。有名無名を問わずスゲーのはスゲーんじゃねーの!?俺、NHKの「プロフェショナルの流儀」って番組、もの凄い嫌いなのね。だってさ、まともなプロはイノベーターっていうだろ。あいつら時世に乗ってるだけだもん。NTT元会長の技術開発にかけた思いとか、本田宗一郎がヨーロッパGPでみんながみんな無謀な挑戦と、馬鹿馬鹿しくも観戦ツアーを途中で辞退する中、ひとりバイクパーツを背中にまで背負い込んで帰国して、「俺たちの技術が世界で通用する事を証明できるのは、レース以外にはねえ!!!」と発破したこととか、スピリッツが何もねー。どんなに努力したとか、俺たちも頑張ってることとかじゃねーんだって。今ある問題に立ち向かうのは、当たりめーの事なの!!!!!!!!!第一、現代活躍って言ってもその後残るかどかじゃねーの?じゃなくって、今必要なのは、既成概念から、いかに脱却するかってのが一番重要で、それが俺たちの未来だろーが!!!!!!!!!もう終戦という言葉もなければ、「発展」も死語になりつつあるんだぜ。その先にあるンが一生懸命!?勘違いにもほどがある!!!ベトナムの履修科目、エリートになると「日本の大学修士課程」そのまんまんの試験が高校レベルで出題だってよ!もう目ざめろってんだよ!馬鹿共!今の日本はアジアの未来を作ることなんだよ。わかっってんのか?!ボンクラ!!いい加減周辺諸国に食わせてもらうことの矛盾をキチンと考えろって、俺派つくづく思った。

Tuesday, January 09, 2007

ZEN no KOKORO

現代の書新春展今日もまた銀座だ。和光ホール六階で開催中。さすがに現代を代表する書家の作品群だけあって凄かったなあ。石飛博光先生は、TVでもご活躍ですが、やはり修練の賜物。書体は細くとも、的確に文字の意思を丁寧に伝えている。それにしても現代の仮名書というのは、非常に目を見張ります。ただ美しくを超えてもう絵画の領域。書に置いても所謂一文字書がそういった佇、新しい潮流を感じました。墨色と筆運の力加減、紙と筆の真剣勝負、いやああんなに奥行き或るものがかけるんだな。たしかに筆の勢い或いは力強さが必要だとしても、船本芳雲先生おっしゃる言葉「その内容で控えめであったり爆発的であったりしなければと」そう思います。生きた文字というのは此処にありますねえ。現代の書とは云っても、決して時代に流されていない部分を持つところが、なんて云うかその下にある絶え間ない努力修練を見るようで頭が下がりました。よかったのは「拳」の一文字をお書きになった恩地春洋先生の作品。草書と行書とを併せ持つこれは私の見方ですが、陽義式の筆運あるいは六朝みたいな感じ(もちろんあくまで私の私見ですよ。)で心に響いたなあ。しっかりと墨が紙を捉えているようで、文字が書いたものである現実を超えて、動いている息をしている感じだったなあ。いやあさすがに日本が誇れる世界が確実に此処にありましたよ。仏語である「一挙五指」握れば一つの拳になり開けば五本の指。全く違うもののようでいて一つのものである。の一文字をとったものだそうです。

It started operating UNIX again.

BSD which reopening UNIX one years does not do
operation finally completely. At last being this year,
also your own feeling being able make clean, now
feeling it operates this well. Nearly your own one year
you being to go from fundamental maneuver,
confusion was little in this. Only to be, because
manner of end of the manual page "q" had forgotten
that is completely, the file which remembers that you
forget in the current directory was drawn up.
Nevertheless by comparison with Microsoft Windows,
UNIX is easy to remember after all. When it is from
command line, also the past record regarding
operation is sufficient key operation one time die. As
for PC with 6 GB as for operation light itself.

Monday, January 08, 2007

back in home now!


休みが三日も続くとやっぱり嬉しい。増えればそれだけ収入も減るが気にならん。今日は銀座、東京セントラル美術館で現代書道家春の新作展を観てきた。さすがに薄墨によるあっさりフワフワした作品は数がない。青墨はある種、流行だとはよく言ったものだ。しかしながら、新潮流の流れとはいっても、記憶に残る作品は少ない。篆書、隷書数点以外は総て草書だった。日本の書は材料、道具は一流だが、書は丸い。厳しく言えば甘さがある。しかし現代中国の書は、やはり遙か昔より勇壮で厳しい。日本のかなにそれは認められるけど、何せ今の時代。実用として題字に用いられることはまだまだ少ないこともあって、なにかさみしい。もともと段を取るにも仮名は難しいらしいけど。漢詩は相変わらず旺盛だが、なぜか今の時代にそぐわない気がしたがこれも選び方また取り組みや書体によるところも多いのかなあ。隷書に筆運がハッキリ見られるものもあり、新しい発見もあったが、全体として緩慢。達筆はあっても良書と断言できないな。
でもこういった今の展覧会を無視してはいけないし、自分を律する意味でも機会は出来るだけもうけた方が良いよな。

SINCE 2005

ブログを再開するにあたって、長持ちさせることと、アクセスを増やすために更新する頻度を高めることが重要らしい。しかし日記サイトなどとほざいている中に、謙遜を忘却。ともいえなくないな。そもそも公開する内容かとも思う。そういやフジテレビ昼ドラのテーマ曲、あの歌。あれって例の「いのちをたいせつにしないやつなんてだいきらいだ。」(ひらがなで統一すると急に子供っぽいよね。)の台詞で宣伝していた映画の主題歌の歌手オーディションで、そいつのデモテープにこれがあったらしく、それでその女に決まったらしい。私も聞いたが、マイク無しであの声量で歌手ッつーのは、あー現代なのねえ。かすれた声は「質」というよりむしろ、雰囲気に頼りすぎなんじゃねーかねえ・・・。まあ思い出しただけだけど。いずれにしても小声で歌えば上手い奴ってのは、とどのつまりは素人だと。
話は変わって、日本のブログサイトでも名前の通っている輩は、あらかじめ作っておいたものを雛形に、記事だけ書かせて投稿も人任せってかんじだよな。ヤラセくさいし。短い文章も内容は特にないし。反論とか釈明は長々してんのは多少本人の要求もあるのだろうけど。平たく言えばあれはファン向け。「好きな人だけ読め。」かあ・・・・。口コミということで宣伝に使われることもあるらしいが、商売道具にそう簡単に踊らされるほど簡単だと、ちょっと馬鹿にしてるよな。まあもうちょっとテレクラみたく貧相になってくれば、(腐るほど存在するって意味でね。)相手にされなくなるのだろけど。近況にしてもどこそこにいって感動したとか、共有できない話をすんなよな。(写真つけたからって問題じゃないな。)語尾に「~じゃないですか」ってのを口癖のように使う奴も、PCシャットダウンいーやコンセントからシャットダウン加えてブレーカー堕とし!!
身のない話はお互い様。感想なり意見なりネットの特性を利用して、特定を示さない形でのもうちょっと辛酸批評があってもいいんじゃないの?
人気ばかり気にしてばかりじゃなくて。
そもそも制約或る自由ってモラルの中にあるからねえ。

it'new!


手始めに始めたブログだけど、どうにもコンテンツが進まないのは、もともとあった不精者の癖か・・・・。他のブログなどほとんど目にしない。だから私の日記はいつも徒然だ。日本ではバンドルネームが礼儀だと思ってるらしいが、海外では実のところ「本名」というのが多い。是は私見だけど、そもそも匿名で好き勝手なことを言って、叩かれたり、もしくは中傷の標的になりたくないとか、”荒らし”がいやだとか、その辺が妙にリスクばかりを気にする、謂わば人の見えないところでは傍若無人の「日本人」らしいとこだねえ。まあ私もなんだけど。
話は変わって、ずいぶんとご無沙汰していたけど(あ、これ自分のブログのハナシね)、コンピューターの話をするとかって、一向に書かずじまい。結局新たにページをもうけました。この一年ね、自分は仕事量を本当に減らして、そらもういま生活保護ぎりぎり。しかしね、負け組ってのはつまり「いい訳ばっかりする奴」なのね。私の場合、書物「砂漠の知恵 The desert wisdom」にあるように、もう一度自分の原点でもある、あの東京江東区荒川河口にあった、荒涼とした風景の中に立ったあの「記憶」を思い起こしたかった訳。これまで数々の仕事をしてきた中でしったのは、他人の評価とか周りの話を聞くにつけ、気にしないなんて事が、実は言うに容易くて行うが難しなんて事に気づき始めて、いつの間にか自分からも逃れられないことになっていく事の恐怖は、どっかの国の恐怖政治よりも怖いことなのだと。信じれば叶うなどといつの間にか能書きたれて、そのうち努力の先にあると、儚い成功の影に惑わされ、今やるべき事を軽々しく扱い始める。今ある自分の姿は、本当の自分かよりも、自分がどう評価されることが気になるという世界に生きているし。余計なことをしゃべらずにいることなんて不可能だ。だから私に必要なのは「荒野」だった。ドロップアウトできない社会はナチス収容所のホロコーストよりも怖い。でもそれが現実だから、そんな中を私が何も掴まず、転ばずに歩くことは出来ないと思った。私には果たさなければいけないことがこれまで3つあったんだな。一つめは両親片方の親との確執を解消すること、生涯積み上げるものを持つこと、そして「孤独」こと。前項二つめまでは解消した。最後は本当に難しい。私は独身者である。「孤独」は寂しい気分を我慢できることではない。その程度なら所帯を持っても容易い。大体苦痛だと思うから修行。山伏が滝で身を清めて修行するが、あれは「それが苦行でなくなるまでつづけよ。」という意図とがあるからで、「滝に打たれるんじゃなくて、身を任せなさい。」ということ。おおかた勘違いしとるけどね。
「孤独」の修練は家でも出来る。これは形こそ違うけどね。「てんぼこり」という言葉がある。心に刻んで今を生きる。そう思うわたしは。
意味が解らんという人は辞書を引け。何でも人に聞いちゃいかんからね。

もう40にして惑わず。好き勝手言わせてもらう。
歌詞によく耳にする言葉。確かに君だけの花もあるとは思う。だがその花は決して人のために咲かぬ野の草花でなければいかんのよ。でなければ「君自身の花じゃない」。可愛がってもらえるとは誰も保証していない。あんた草花の生涯もそりゃあ大変なのよ。
あと一番になりたがる社会があるから、そうならざるを得ない自分の存在価値を否定したら、それこそ弾かれちゃうんじゃないかね。だから誰でも一番が良いんじゃねえの?ッてことに大人が理解してないんだよなあ。世の中甘く見たって良いこと無いよ。なめちゃいかんな。子供じゃないんだからさあ・・・。大人のクセに、あんまし夢を見るのもどうかね。でも松坂の「夢は見るもの~・・・・」ってのはオメーはじゃどこみてんだよって気がしますな。「現実」を夢見た自分に少しは感謝しろ青二才。だーれがお前のために何億も積んだのかもう一度胸に手を当て考えな。野茂の時代にお前が今の実力があっても、メジャー行きは実現しない。今の制度がお前の実力と呼応しあっただけ。それを実力だけというなら、お前のうぬぼれだ。
夢を見せる商売であることに事に気づいたのなら、そこから本物の大リーガーだと思うけど・・・・。